吉田村について

About Yoshidamura

古来より、怒った鬼のように荒れ狂う河川として知られていた鬼怒川。
時に人の営みをも無情に飲み込んでしまうこの川は、
自然の恐ろしさや厳しさを私たちに突き付けると同時に
豊穣たる土壌と豊富な水源をもたらし、
豊かな大地の恵みを私たちに授けてくれました。

そんな鬼怒川の西に面する広大な田園地帯に、
結城と宇都宮を結ぶ古道を中心として、複数の集落が点在していました。
明治22年、町村制施行に伴って村々が合併し「吉田村」が生まれました。
吉田村は大地がもたらす農業と、川がもたらす水運で大いに発展し、
それはそれは活気にあふれた賑やかな村でした。

時は流れ、そんな繁栄の年月も今は昔。
かつての賑わいは息を潜め、現在の吉田村(栃木県下野市)は
ひっそりと佇むのどかな田舎町です。
この村に、かつての賑わいを蘇らせたい。
いま、吉田村に新たな息吹がもたらされます。

吉田村プロジェクト

Yoshidamura Project

吉田村アグリツーリズムの拠点となる土地は30年前まではこの吉田地区の中心地で、農協の支所や直売所、ガソリンスタンドなどがあり、地域住民の生活を支え、地域のコミュニティの場として賑わっていました。

その当時は周辺にも飲食店や商店があり、街も人も活気がありました。 近隣に鬼怒川があり、肥沃な土地のため農業が盛んな地域ですが、古くから日光街道の脇往還として、また鬼怒川の船着き場があったことから、かつては宿場などもあり農業だけでなく商業も盛んな地域として発展してきました。

しかし、最寄の駅を中心とした都市開発など時代の変還と共に、徐々に商店などが消え、農協も移転してしまい、残骸のような石蔵と支所跡、広い空き地だけが残りました。
それに伴うように、人も減り、少子高齢化なども進み、今ではすっかり過疎の地域になってしまいました。

ここは農業地区のため、「市街化調整区域」に指定され、農協の不稼働資産として、価値も付かず、売買や開発もされることなく当時の姿をそのまま残しています。

しかし、その出立は珍しい手掘りの大谷石が使用されていたり、震災などにも耐え抜いた立派な造りによって歴史背景を物語る文化財としての側面もあります。
災害が少ない土地柄、市街化調整区域、保管状態などいくつもの条件が重なり、悠久の時を経てきた石蔵という建造物。 現代で新しく作ろうとしても作れない貫禄ある佇まい。 古い建物のリノベーションがトレンドの現代においては、非常に魅力的な「ハコ」であり、過疎に喘ぐ地方の地域活性・地方創生の糸口だと考えます。

同様の地域背景で同様に農協の不稼働資産となっている農業用倉庫は県内・全国に無数に存在します。 それらを開発・有効利用し、人の、物の流れる仕組みを作っていければ、地方創生と共に、新たなビジネスモデルとして、何もなかった無名な地域でも全国に発信できるコンテンツを生み出していけるのではないかと考えます。

私たちは「吉田村プロジェクト」と称し、文化、建築、商業、コミュニティの創出を目的とした開発プロジェクトを立ち上げ、地域の発展に力を尽くしていきます。